| 吉原商店街こちよし実行委員会では、先頃亡くなられた、いかりや長介さんを追悼し、市民の皆様に記帳メッセージをしていただこうと記帳所を吉原小宿に設置いたしました。
いかりや長介さんは、青春期の15年間を富士市で過ごし、後に国民的なコメディアン・俳優として活躍されました。
また、今年度作成される富士市中心市街地活性化基本計画において、吉原地区の活性化事業のひとつに、吉原地区出身の有名人などにまつわる施設の導入と明記されています。これは、いかりや長介さん率いるザ・ドリフターズを想定しているのは言うまでもありません。
さらに、平成14年には旧ヤオハンビル再開発後の施設について、当ホームページ上で実施したインターネット・アンケートでもドリフターズ博物館が1位に輝くなど、この吉原の地といかりや長介さんへの思いは格別のものがあります。
日時等は下記の通りですので、何卒、よろしくお願い申し上げます。
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日時
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2004年3月24日(水)〜4月5日(月)
AM11:00〜PM4:00
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場所
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吉原小宿(富士市吉原2-1-13)
Tel 0545-53-1585
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吉原小宿での追悼記帳は700件以上に。お名前だけでなく、多くのメッセージも添えていただきました。 なお、4月17日に、東京のご自宅へお届けいたしました。
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本名・碇矢長一(いかりや・ちょういち)。1931(昭和6)年11月1日、東京都墨田区生まれ。戦争中、静岡県に疎開。工員などを経て上京。ジミー時田とマウンテン・プレーボーイズでベースを担当。
1962年ザ・ドリフターズに加わり、1964年からリーダー。1966年に初来日したビートルズの前座で演奏を務めた実績を持つ。
1969年に始まったTBS系のお笑いバラエティー「8時だヨ!全員集合」は最高50.5%の視聴率を記録。1985年まで16年間続いた。
その後、存在感のある俳優として活躍。1999年に映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞。
2004年3月20日、頸部リンパ節がんのため死去。享年72歳。
1944年、小学校卒業と同時に富士市へ疎開。中学卒業後、製紙工場へ就職。喜劇映画が好きで、吉原の映画館まで四キロの道のりを歩いて通ったエピソードも。
その後、工場の仲間とバンド活動を始め、吉原のダンスホールやキャバレーで演奏。
やがて、市内だけでなく、沼津や静岡の店からも声がかかるようになり、1959年、28歳で上京するまで、青春時代の最も多感な時代を富士市ですごした。
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