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戦後編

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現代編・天神社


新追町

 新追町は、20町内の中でも最も西側に位置し、小潤井川に面した地区。
 2000年に完成した新しい山車は、重さ5トン、総ケヤキ造りで、正面には迫力のある龍の彫り物が施されていて風格もたっぷり。さらに、新追町のシンボルにもなっているひょっとこ・おかめが以前の山車と同様に取り付けられている。
また、かつての山車は広見町で活躍している。

新追町新追町新追町
右が2000年からの新車。


西仲町

 昭和32年(1957年)6月に完成。前部の破風の部分と両柱に龍の彫り物があり、正面から見ると迫力あるつくりになっているが、対照的に裾周りは愛らしい文福茶釜(ぶんぶくちゃがま)の一代記をモチーフに彫刻が施されている。
 もともと木之元神社の祭神は、泣澤女命(なきさわめのみこと)という水の神様だという説があり、西仲町以外の七町内はどこかに水に関する彫り物があるが、この町に限って、そういうものがないというのも興味深いところだ。


日吉町(2001年・木之元神社当番町)

 屋台の歴史は古く、完成は昭和12年(1937年)。修復を何度か重ねながらも、そのままの形で受け継がれている。
 特徴は、屋台の上で天を仰ぐように空を見つめる大きな鳳凰。完成当時から同町内のシンボルとして飾られていたが、引き回しの時に電線に引っ掛かるなどして壊れてしまい、昭和40年頃から飾っていなかったが、「再び鳳凰を」という住民の願いから、1993年に作られた二代目だ。


昭和通(2002年〜2003年・木之元神社当番町)

 完成は昭和31年(1956年)。正面の両柱に施された龍や裾周りの波浪など、いたる所に細かな彫刻が刻まれていて、迫力のある風格と彫り物の繊細さが見事にマッチしている。
 お囃子を演奏する高台の後ろに側には、桃太郎が祭を見守っている。昔は電線が低かったため、上げ下げを繰り返したそうだが、現在は引き回しの最中はほぼ立っていて、昭和通のシンボルにもなっている。

 >>昭和通のホームページ


住吉町(2004年・木之元神社当番町)

 2000年は、屋台を27年ぶりに改装。屋根の上に人が二、三人乗れる台を設けたほか、高さも20cmほど高くなった。
 お囃子については、太鼓や鉦(かね)のほか、三味線の演奏もあるので、こちらにも注目してみよう。

六軒町(2004年・木之元神社当番町)

 総ケヤキ造りの山車は、昭和31年(1956年)に現在の型になった。前面に飾られている唐獅子・唐破風の彫り物は、一枚のケヤキの板から作り上げ、他ではあまり見られない型式という。また、裾周りの彫刻は、安藤広重の東海道53次の浮世絵の内、箱根から興津までが描かれている。
 山車の上に乗る金太郎は、出世物語である昔話を子供たちに伝えていこうと飾ったものらしく、山車の内部にも金太郎伝説の彫り物が施してある。

西本通

 現在の山車は、それまで使っていたものの老朽化にともない、昭和33年(1958年)に造りかえられたもの。総ケヤキ造りで、正面には四方ににらみをきかせた龍の彫り物が施されていて、まさに迫力たっぷり。
 また山車の上に奉られているお宮は、木之元神社の分祀と伝えられていて、山車の中にも玉串の彫り物が施されているなど、神社に関するものが多いのも特徴。


傳馬町

 昭和32年(1957年)に完成、その当時からやぐらの上で笛を吹く牛若丸が、同町内のシンボルとして立ち、彫り物にも牛若丸をかたどったものが施されている。
 現在のものは20年ぐらい前に修復されたもので、1997年からは、引き回しの時に牛若丸にあやかって、青年が弁慶の衣装で練り歩いているので、注目してみよう。

 >>傳馬町のホームページ


戦後編

現代編・天神社


協力 吉原祇園祭実行委員会・吉原祇園祭五社青年長会議・富士商工会議所富士ニュース社

制作 NPO東海道・吉原宿
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